1 認知症の方が線路内に立ち入って列車と衝突事故を起こし、鉄道会社に損害を与えた事案で、平成28年3月1日、最高裁判所は、その認知症の方の妻と長男について、損害賠償責任を否定する判断を下しました。新聞やテレビなどでも大きく取り上げられていましたので、皆さんも一度は目にしたことと思います。
認知症の方が起こした事故について、家族の方が何らかの責任を取らなければならないのか、という問題について、最高裁が家族の責任を否定したという結論が注目を集めましたが、今回は、その前提部分について解説したいと思います。
2 殴られたり、不注意で事故を起こされたりしてケガをした場合、ケガをした人としては相手に対して治療費や慰謝料を請求したいと考えるでしょう。こうした請求を、不法行為に基づく損害賠償請求と言います。
民法は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」(709条)と定めています。わざと(故意)もしくは不注意(過失)で他人にケガをさせた(身体という権利の侵害)人は、それによって発生した治療費や慰謝料などの損害を賠償しなければならないということです。
しかしながら、他方で、民法713条は、「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない」と定めています。これは、自身の言動について善悪の判断がつかない状態で他人に損害を与えた場合には、その損害について賠償の責任を負わないという意味です(こうした方のことを「責任無能力者」と言います)。認知症の方も「自身の言動について善悪の判断がつかない状態」に該当する可能性があり、該当した場合には、損害賠償責任を負わないことになります。
他人に損害を与えたのに賠償責任を負わないの!?と感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、一般的に法律の世界では、「法の命令・禁止を理解し得ない人間を、損害賠償責任から解放することによって保護する」という政策的価値判断に基づきこのような法制度になったと理解されています。
3 それでは、責任無能力者が起こした事故については誰も責任を負わないのでしょうか。
この場合については、民法は、「その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」(監督義務者)が責任を負うと定めています(714条)。冒頭の裁判で問題となったのは、認知症の家族が、認知症の方の監督義務者(もしくはそれに準ずる者)にあたるかという点です。
地方裁判所は、妻、長男とも監督義務者にあたる、高等裁判所は妻のみ監督義務者にあたるとしたのに対し、最高裁判所は妻、長男いずれも監督義務者にはあたらないとして、責任を否定しました。
もっとも、最高裁判所も、妻や長男が常に責任を負わないとしているわけではなく、従前の関わり方なども考慮しています。したがって、今回の最高裁判所の考え方によっても、場合によっては、家族が責任を負う可能性があります。
具体的にどのようなケースで責任を負うことになるかは、今後議論がなされていくことになりますが、万が一責任を負うとされた場合のことを考え、事前に保険(個人賠償責任保険など)に加入するなどの対策をされることをお勧めします。